私の統合失調症日記

統合失調症で自宅療養中。その日々の日記です。

震災の記憶…

これは、震災当時の出来事です。記憶が曖昧にならないうちに、忘れないうちに残しておこうと思い文字にしました。


2011/3/11(金)、私は当時勤めていた会社の事務所にいた。そろそろ15時になるので15分前から皆の分のコーヒーを淹れるため、ドリップ式コーヒーメーカーのスイッチを入れた。


コーヒーは、課の会費で飲みたい人だけ入会するスタイル。14:45にスイッチを入れると、10分後には美味しいコーヒーがドリップされる。


あの日もいつものようにスイッチを入れ、仕事をしていた。すると…


床を突き上げるような揺れ。そして南北に激しく揺れだした。


2日前にもお昼前に地震があったので、今回もすぐに終わるだろうと言う思いで机の下に避難した。が…


揺れは今までに無いほどの揺れ。揺れれば揺れるほど隣の机の引き出しが開き、重さで机が傾く。


机の下では、揺れすぎて外に出されまいと奮闘する私がいた。揺れすぎて机から何度も出されていた。


その時湯沸かし室ではちょっとした奇跡が起きていた。


・入口近くの棚の上に置いてある取引会社から戴いたタオルが全部床に落ちる
・中段の蓋が開き、来客用のコーヒーカップ10個がタオルの上に次々と落ちる(全部割れなかった👍)

・電子レンジが音を立てて床に落ちる
・12杯分のコーヒーがこぼれ、6杯分に減る


他の場所では、


・書棚が床に落ちてガラスが割れる
・図面が入っているキャビネットが廊下側に移動する
・図面棚がガダガダにズレる


そして停電。


揺れは一旦小さくなり収まったかのようになった途端!ドーンと更に強い揺れが襲い、私は揺れすぎてまた机の外に出される。4~5分は揺れていたのか、とにかく長かった。


そしてやっと揺れが収まった。事務所では、上司が外へ出ろとの命令をし、ヘルメットを被って階段を下り外へ出ようとしたが、出口から次々と男子トイレに入る人で出られなかった。


やっと外に出、縁石の上に座り次の指示を待った。通常行われる避難訓練の形でメイン道路に整列した。


整列して次の指示を待ってる時、大粒の雪が降ってきた。カーディガンに雪が着き真っ白になる。この間も、大きめの余震が何度となく襲ってきた。


近くでは、会社に出入りしているトラックの運転手が携帯でTVを見ていた。津波が来ると言うので私も見せてもらった。


その時やっと次の指示が出た。全員が社員食堂に集まれとのことだった。真ん中は危ないから、部屋の端っこに移動しなさいというのだが、何百人もいるので、自然と真ん中に立つことになってしまった💦


この時も大きい余震が何度も起きていた。次の指示は、部署に戻ったら女子は16時で帰宅してもいいとの事。


部署に戻ると、大きなホワイトボードが床に落ちていて、天井のエアコンが斜めになり今にも落ちそうだった。天井が揺れて擦れたのか、白い細かい埃が向かいの机のPCの上に落ちて真っ白だった。


他に、品質課が逃げないで製品の被害状況を確認していた。人数も4人しかいなかったので、残ったコーヒーを割れなかったカップに入れ配った。


私の課の人達は設備なので、工場の被害状況を確認するべく飛び回っていたので、コーヒーどころではなかった。


停電だったけど、内線電話は繋がっていた。外線は不通。


16時までやることがないので、こぼれたコーヒーを拭き、元にあった机が揺れで移動していたので、何センチ動いたのかと定規で測ると、8cmも南に移動していた。


16時になったので女子ロッカーに行くと、ロッカーが斜めになっていたり倒れていたので復旧し、そのまま帰ることになった。


家に電話しても繋がらず、メールしても繋がらずなので徒歩で帰ると、停電で信号が機能せず、警察官3人が出動して交通整理をしていた。


会社は丘のてっぺんにあるので、私の家が見える。家は無事だった。歩いて帰る途中にも余震は何度も起こっていた。45分後に家に着く。


玄関をあがった時TVの音が聞こえた。TVはついていた。聞くところによると、線路を挟んで南側は停電、北側はなんともなかったそうだ。


TVでは被害状況の確認や津波到着時刻等を流していた。


部屋に行きPCを立ち上げるとインターネットは繋がった。当時はmixiをやっていたので、阪神大震災を経験した方々から、避難時の行動や家に待機時の行動等(こうするといいよ等)が書き込まれていた。


余震がある中での夕食は怖かった。その時家族の行動を聞いた。


・父:揺れ始めてからずーっと庭で避難していた
・母:神棚の水を下ろし、座布団を被ってTVが倒れないように最後まで押さえていた。


凄いなぁ、母👍


水も出たのでお風呂に入ったが、入ってる途中で余震が来た。あの時は少し長く大きかったので怖かった。


寝る時までずっとTVはつけっぱなし。服のまま寝て、ベッドの横に靴を置いた。深夜も余震で何度も起こされた。


朝起きるとすぐにTVをつけた。津波が襲った各地の映像が生々しかった。その映像を見ながら一日をすごした。


日曜日に何も連絡がなかったので、月曜日も会社に行くことになったが、行くと他の課の女子はみんな休み。私だけ出勤。


・ズレた図面棚を直すべく、図面を全部出して棚を押し込んでる人
・ズレたキャビネットを壁に押し付けてる人


がいる中、「朝礼は現場」を聞き、走っていくと、部長課長班長がいたのでその輪に入る。すごい息切れで皆が振り返る💦部長の指示で、課長班長が動く中、私には「なんで休まなかったの?」の言葉。


課長経由で女子は休むようにとのメール連絡を入れていたという。課長が忙しすぎてメールを見てなかったとのこと😅


その日は一日事務所復旧のお手伝いをし帰ってきた。次の日から1週間帰休となり休んだと記憶している。


当時のここの震度は6強。